Ⅲ ブルーエの評伝『トロツキー』の邦訳への疑問(2004.7.11)
ピエール・ブルーエ(Pierre Broué )の『トロツキー』(Trotsky , Fayard, 1988)という伝記研究がある。
トロツキー伝としては現在、世界でもっとも注目される著作であろう。原著の刊行から4年後に柘植書房から邦訳も早々と世に出た(1993年)。杉村昌昭/毬藻充監訳による。全3巻という膨大なもので、わずか数年で翻訳をなしとげた訳者たちの労苦と出版社の見識を多としたい。
『ロシア革命史』の翻訳にさいして、参考にする必要があったので購入した。全部を通読したわけではなく、必要な部分だけを参照したのだが、いささか唖然とした。意味不明の邦文、誤記・誤認など多くの瑕疵が眼についたからである。柘植書房からは私もトロツキーの『新路線』を刊行しているので、批判は心苦しいが、歪められたトロツキー像の是正をいうなれば畢生の課題とする私としては、黙殺するわけにいかない。柘植書房はトロツキーの著作の刊行を基本事業としている出版社であるだけに、きちんとした仕事をするよう心がけてほしいと思うので、あえて疑問を呈することにする。各巻1万円もする高価な書物であってみれば、なおさらのことである。
以下、サンプル抽出という意味で、邦訳書の一部をとりあげて問題点を指摘する。
その一部とは、私がトロツキー『ロシア革命史』の邦訳にあたって参照した十月革命関連の記述ーー第1巻の第10章「彷徨の始まり」と第11章「権力への歩み」である。それも全体を原書につきあわせて検討しみたわけではない。読者として邦訳文を読んで、疑義をおぼえた部分を原書に照らして吟味しただけである。問題の部分を朱色で示す。邦訳書のページと行を示した。+は右からの、-は左からの行をそれぞれ示す。
第10章 「彷徨の始まり」
■ 「一九一七年五月二一日に、彼は……」 (p.268、 +9 )
原著 Dès le 21 mars 1917, il écrit dans Novy Mir......
「三月」である。誤植か誤訳か?
■ 「オーストラリア系のハンガリー人」(p.271、 +2 )
原著 ......16 Austro-Hongrois......
<オーストリア=ハンガリー人>では?
■ 「ドイツへの旅から四日に戻ってきたレーニンの到着の後……」 (p.272 -6 )
原著 ......après l'arrivée de Lenine, revenu le 4 après son voyage à travers l'Allemagne......
<ドイツ旅行>ではなく、<ドイツ経由での旅>である。
レーニンは亡命先のスイスから、ロシアとの交戦国であるドイツとの交渉で、特別
車両を編成させ、ドイツ国内を北上して帰国したというのが史実である。
第11章 「権力への歩み」
■ 人名「 クリアプニコフ」(p.277, +6)
原著では Chliapnikov
chの音はフランス語では英語の<sh>に相当するはず。<ク>でなく<シュ>
ロシア語では Øëÿïíèêîâ(シリャープニコフ)で、
『ロシア革命史』をひもとけばなんど も出てくる人名である。
あとのページでは、<kacha> を「カチャ」(294、+5)。一貫していない。むろん、
<カーシャ>のこと。
■ 「三月四日のレーニンの到着」
( p.277, -8 )
原著もここは、le 4 mars 。しかし、史実は旧暦で4月3-4日。ブルーエの誤記か、誤植?
原著の年譜では、17 avril (新暦)と正しく記載。訳書の「年譜」でも4月17日としてある。
■ 「ボリシェヴィキが指導するかなりの分派がメンシェヴィキとの再統合の見通しをまだ 捨てていなかったが……」
( p.279, +11 )
...... une fraction importante de la direction bolchevique......
「かなりの分派」は変である。「重要フラクション(派)」とか「主流」と理解すべきで は?
■ 「五月五日(十八日)、第一回全ロシア・ソヴィエト大会で……」(p.283, -9)
そのすぐ先には、
「六月初めに開かれた第一回全ロシア・ソヴィエト大会……」(p.283, -6)
史実は、第一回全ロシア・ソヴェト大会が開催されたのは、6月3日-24日(旧暦)。5月5日 にトロツキーが演説したのは、ペトログラード・ソヴェトの会議。
原著を見ると、
前者は Le 5/18 mai, lors du premier congrès pan-russe des soviets........
後者は Au premier congrès pan-russe des soviets, qui s'ouvre au debut juin,....
とあり、ここは訳者の問題ではなく、著者ブルーエの誤記のようである。
■ 「彼は、メンシェヴィキと社会革命党を説得しようとした。彼らは、彼らの政策の特徴 である革命を停止させようとする企てのせいで、反革命の側に向かう結果になっていた……」(p.283, -4~3)
文意不明。「政策の特徴である」がどの語にかかるのか曖昧。
原文 Il cherche à convaincre mencheviks et s.r., que la tentative d'arrêter
la révolution,qui caractérise leur politique, les voue à tomber dans les
bras de la contre-révolution.
文意は、トロツキーは<メニシェヴィキやエスエルの革命抑止政策は否応なしに反革命の 側に身を投じることになるのだということを当人たちにさとらせようと」したということ。 その文意がつかめていないようだ。
■ 「コルニーロフ将軍が部隊の先頭に立ってペトログラードを歩こうとしたとき、そしてボリシェヴィキの参加決定によって労働者の抵抗運動が組織されたとき、事態は変わった。」( p.285 +4~5)
変な文章だ。
Mais quand le général Kornilov tente de marcher sur Petrograd à la tête de ses troupes et que s'organise la résistance ouvrière avec la participation déterminante des bolcheviks, les choses changent......
前者は、<ペトログラードに進軍>では?
また後者は、<ボリシェヴィキの決然たる参加を得て>の意では?
■ 「トロツキーが読むはずだったレポートは、結局スターリンによって代読された。」
( p.285 ,+9)
Le rapport qu'il devait y présenter l'a finalement été par Staline.
「代読」とすると、トロツキーが用意した報告をスターリンが代わって読み上げたという意味になる。事実は、報告予定者のトロツキーが投獄されたため、スターリンが大会「報告」をおこなったということ。スターリンの報告は、トロツキーの本意とまったく違うものであった。原文でも別に「代読」とはのべていない。これはいわば<勝手読み・勝手訳>
■ 「トロツキーは……大臣たちの「臆病さ」について語っている。すなわち、大臣たちは、コルニーロフを打倒する権利を全兵士に持たせるために、超法規的に反乱を鎮めなければならないのに、それができないのだというわけである。」(
p.285, -1~p.286 ,+2)
.......ministres qui devraient mettre le rebelle hors la loi......
<反乱を法の外におく>つまり<反乱を違法行為>と宣言するという意味では?
■ 「ペトログラード・ソヴェトで、方針決定の重要な選挙が行われた。」( p.286, +10)
<方針決定の重要な選挙>とは? 意味不明。
........ un vote décisif d'orientation a lieu au soviet de Petrograd......
<方針にかんする決定的な投票>のこと。それまでメニシェヴィキやエスエルが圧倒的多数を誇っていたペトログラード・ソヴェトで、はじめてボリシェヴィキが多数を占め、ソヴェト権力にかんするボリシェヴィキ提案の決議案が可決された事実をさす。
■ 「新しい常任委員会」( p.286, -4~-3)
原語は présidium。しかし、あとの方では「最高幹部会」などと訳されている。訳語は統一 しないと混乱を招く。
■ 「彼は、自分自身に忠実な立場から闘争の継続性を強調するためと、仲間への信頼の気持 ちを示すために……」(286、-43)
Fidèle à lui-même, toujours soucieux de souligner la continuité du combat et de donner confiance
aux siens,......
「自分自身に忠実な立場から……」は変では? <直後のtoujours soucieux.(……といつも心 がける).......といういつもの自分の律儀さを発揮して……>という意味では?
■ 「そして彼は、手遅れになる前にソヴィエト権力に向けた蜂起のための議論を重ね た……」( p.289, +4)
......il accumule les arguments en faveur.....
<手遅れになる前にソヴィエト権力獲得の蜂起が必要だということの論拠を列挙した>と いう意味では?
■ 「すなわち、ペトログラード、ソヴィエト執行委員会の権限下に、軍事革命委員会を設けるという決定である。この委員会には、ソヴィェト最高幹部会、兵士部門の最高幹部会、水兵代表・鉄道員代表・郵便局員代表・工場委員会代表、党の軍事組織代表、民兵代表の各幹部会が含まれていた。」(291、+7)
présidium
最高幹部会はおかしい。ただの幹部会でいい。なお milices は普通、<民警>。
■ 「ペトログラード・ソヴィエトから出される指令は、臨時政府や軍最高司令部の全権限にとって代わり、彼らの手にーーソヴィエトの名のもとにーー首都および地方の全軍事権力が集中したのである。」(291、-6~-5)
「彼ら」とは?
原文では entre ses mains. ses は「彼らの」ではなく<彼の>、つまり複数形にかかる単数の所有代名詞(複数形はleur , leurs)のはず。ここでは軍事革命委員会をさす。「彼らの」としたのでは、文意がまったく不可解になる。
■
「全ロシア・ソヴィエト大会の最初の代表をスモーリヌイに集めた」295、+7
...... les premiers délégués au congrès...
<最初に到着した代議員たち>としないと混乱を招くのでは?
■ 「反乱軍の分遣隊が夜の間に展開した。」(296、+7)その先では「蜂起軍」(296、-2)
原語はいずれも insurgés。訳語を統一しないと別物と理解される。私見では、「反乱軍」とするより「蜂起軍」がいい。ソヴェトを主権者とみるからである。臨時政府を正規の主権体現者とみる立場では、逆になろう。
■
「正午頃、武装した兵士と水兵が冬宮の入口を占拠した。冬宮では予備議会が開かれており、ただちに活動を「暫定的に」中断することを決定した。」(296、-8~-7)
原文はPalais Marie <マリヤ宮殿> <マリヤ宮殿>は冬宮とは別のもの。
以上の事例からわかるのは、訳者が、既存のロシア革命関連の書物をまるで参照していないらしいということである。山西英一訳の『ロシア革命史』さえ参照していないのではないか?
編集担当者は、訳文が原書に照らして正しいかどうかはわからなくとも、邦文の文意が不可解なところはが気づくはずである。文意不明な訳文を高値で読者に売りつけることの問題点を編集者・出版社はどう考えるのだろうか? 欠陥商品を売りつけたその責任をどうとるのか?読者にどう償うのか? いろいろと考えさせられる。