日本共産党綱領(2004)と「32テーゼ」  


藤井一行

(2006.5.1)


 
 「コミンテルンと天皇制」という一文を『労働運動研究』最新号(2006.4月)に寄稿したあと、筆 坂問題がマス

コミをにぎわせるようになったのに刺激を受け、久しぶりに共産党のHP から綱領と規約をのぞいてみた。いろん

なことがわかっておもしろかった。

 拙稿は、期せずして、共産党綱領(2004年改定)にたいする批判になっていた。問題点は、共産党綱領の天皇制

認識と段階革命論である。

 共産党綱領は戦前日本の天皇制についてつぎのように規定している。

 「当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国 を統治する全権限を天皇が握る専制

政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権 利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめ

つける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴として いた。この体制の

もと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。
 
 党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつく りあげる民主主義革命を実現することを当面の任務

とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動し た。」

 そこでの天皇制規定は、当時の党がそう規定していたという命題ではなく、今日の共産党の歴史認識である。そ

れは、いわゆる「32テーゼ」のそのままの継承にほかならない。「32テーゼ」は、スターリン=クーシネンに指導

されるコミンテルン指導部が日本の共産党のために作成したものである。そうしたテーゼを継承することに日本共

産党はなにも問題を感じなかったのであろうか?

 共産党綱領は別のところで、ソ連・東欧のかつての体制についてつぎのように言っている。

 「社会主義をめざすという目標が掲げられたが、指導部が誤った道を進んだ結果、社会の実態としては、社会主

義とは無縁な人間抑圧型の社会として、その解体を迎えた。」

 「レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則 を投げ捨てて、対外的には、他民族

への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、 国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主

義・専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界 の平和と社会

進歩の運動に与えた否定的影響は、とりわけ重大であった。

 「生成期社会主義」論からいかに逸脱した立論であるかはここでは問わないにしても、そのような体制をつくり

あげた機構こそ(それだけが唯一とは言わないが)スターリン=クーシネンに指導されるコミンテルン指導部で

あったわけであり、かれらが日本にあたえた革命戦略の是非をあらためて問題にする姿勢が必要であったはず

だ。少なくとも、「32テーゼ」の無批判的継承は避けてしかるべきだったように思う。なにしろ、 「社会主義の原

則を投げ捨てて、対外的には、他民族
への侵略と抑圧という覇 権主義の道」をすすんでいたという「指導部」が授

けた指針なのだから。

 もっとも、共産党は、それは天皇制にたいするみずからの判断だと反論するであろう。だが、戦前の日本共産党

にしても「国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)」として把握していたわけではない。

当時の
共産党幹部の発言記録をひもとけばすぐ判明することである。片山潜にしても同じである。

 したがって、現在の共産党がそう認識しているのだということになろう。だが、それは共産党シンパの日本史家

でさえくみしえない特異な天皇制観のはずである。

  私も実に長いこと「絶対主義的天皇制」という歴史認識の呪縛にと らわれていた。幼少時に受けた教育では、天

皇陛下のために死ぬことが最高の価値とされていたことの反動もある。しかし、この間、天皇制にかんする研究書

や、明治維新前後の記録などにまともに眼を通した結果、天皇=傀儡説に一定の理があると思うようになった。

ある意味で満州国皇帝の溥儀に類するような、しかしそれよりは独自の権威と自立性をあたえられた、近代国家形

成のために実権派によってかつぎあげられた
きわめて特異な傀儡 だったのではないかと。


 もうひとつの問題は2段階革命論である。

 共産党綱領にはこうある。

 「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、 異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支

配の打破——日本の真の独立の確保と政 治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とす民主主義革命であ

る。」

 この2段階革命論もレーニン死語のコミンテルン指導部の押しつけである。そこではブハーリンにも責任がある。

「他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道」の出発点には、各国の革命運動にた いするコミンテルン指導部によ

る指導=上意下達があったし、そこでは、段階革命論にもとづく中国革命にたいする無原則的な戦略・戦術のおし

つけがあったと見るべきである。

 議会制度を通じて勤労人民が政権を獲得し、その長期の政権維持のもとで社会主義的変革をめざすという単一の

<革命>過程をなぜ想定できないのか?

 レーニンもトロツキーも、革命過程を2段階に切断することなく、単一の連続した過程と見ていたのであり、日本

共産党は、スターリン=クーシネン流の段階革命論の亡霊にいまだにもとわりつかれているように見える。

  拙稿「コミンテルンと天皇制」は以上の所論を補うという意味ももっている。