ス ターリン主義体制の根原

藤井一行

(2006.05.05)

 
旧稿

 「日本共産党にもペレストロイカとルネサンスを!」

 
「「批判の自由と行動の統一」の解釈をめぐってーー不破・榊 "理論"への反論」

 「粛清の論理とメカニズム」




  
日本共産党は、新綱領で言う。

 「レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指 導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族

への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧 する官僚主

義・専制主義の道を進んだ。 」


 しかし、そこでは、なぜ当初の社会主義の理念が失われ、社会主義と無縁な社会に変貌したのかがまったく問題

にされていない。日本共産党が社会主義の建設を看板にかかげているからには、自分たちのかかげる社会主義の目

標が、「社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」におちいることがないという保証はどこにあるのか? 少なくと

も、その証拠を国民に示さなければならないのではないか? 

 レーニン死後のソ連にあって、早くも兆したさまざまな指導部の誤りたいして、批判の声を発した党幹部たちが

いなかったわけではない。トロツキーがその最大の代表者である。

 共産党が指摘する「社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国

内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧 する官僚主義・専制主義の道」にたいする批判こそト

ロツキーが終生、命がけでつらぬいたものである。だからこそトロツキーはスターリンが放った刺客によっ て殺害

されたのではなかったか? 

 ソ連・東欧の「擬似社会主義」体制とは異なる、真の社会主義をめざすという理想をかかげる人々は、共産党員

を含めて、早くその真実に気づき、「禁じられた」トロツキーの著作ーー少なくともロシア革命にたいするスター

リン派の裏切りを指弾し、ソヴェト「社会主義」の再生を呼びかけた『裏切られた革命』(岩波文庫)ーーをひも

といてみていただきたいと思う。

 トロツキー派が党からだけでなく、祖国からも追放されたあと、独自にスターリン指導部に抵抗運動を組織した

人々もいる。リューチン派である。その中に は、まだ多くのボリシェヴィキ幹部が獄中や国外にあった、二月革命

のたけなわのときに、首都で街頭闘争を組織して第一線でたたかった無名の古参ボリシェヴィキ もかかわってい

た。自分たちの「革命が裏切られる」ことを座視しえなかったのである。

 なぜかれらの批判=警告が圧殺されてしまったのか?

  異見排除+上意下達という党と国家 の構造ができあがってしまったからである。そこでは、革命をになった党

そのものの変質・堕落にもっとも重大な責任がある。

 拙稿「粛清の論理とメカニズム」は、ソ連におけるその経緯を究明したものである。


 いまから16年まえ、私は、「日本共産党にもペレストロイカとルネサンスを!」(教育史料出 版会『日本 共産党

への手紙』1990年、所収)という一文を草した。そこで私は近代政党に脱皮するための提言をいくつかおこなっ

た。それにたいして、 党付属社会科学研究所事務局次長という肩書きで山口富男氏が「赤旗評 論特集版」(1991

年新年号、No.733)に、「ソ連を“型紙”にして」という私にたいする批判文書を発表した。

 それから16年。『日本 共産党への手紙』の編者のひとりである有田芳生さんが筆坂問題に関連して、『日本 共産党

への手紙』を読み直してみたというので、それに触発されて、私も日本 共産党がその後少しは変わったのかを知り

たくなり、はじめて日本共産党の新規約(2000年)と新綱領(2004年)を読んでみた。自分の「手紙」も。いくつ

か興味深い事実を発見した。まずすこしは「ペレストロイカ」らしい衣替えがおこなわれていたことがわかった。

その筆頭は、前衛概念の放棄である。

 私は日本共産党が自党を「前衛党」と規定し、かつ「複数前衛党を認めない」とする主張の奇矯さをついた。

 それにたいして、山口氏は、「その国の革命の責任を負う前衛党は単一の統一された科学的社会主義の党ひとつ

だという、一国一前衛党論の原則が堅持されな ければならない」と主張した。そしてマルクスやレーニンの言説を

引用して、前衛概念がいかに必要かを説いた。

 氏の反論は、「複数前衛党を認めない」とする主張や、一国一前衛党論の原則の主張を説明できていなかった

が、少なくとも、日本共産党=前衛を法定化しよ うとするものではなかったようである。しかし、同時に山口氏

は、「その国の革命の責任を負う前衛党は単一の統一された科学的社会主義の党ひとつだという、 一国一前衛党論

の原則が堅持されなければならない」と主張した。

 それから10余年。日本共産党は、規約からも綱領からも、「前衛」概念そのものを完全に抹殺した! それは、マ

ルクス・レーニン以来の「科学的社会主義」の原則にたいす る裏切りではないのか!

 山口氏はそれをどう説明するのであろうか? 


   また私は、日本共産党の規約にある<秘密結社ややくざ組織の掟を思い起こさせる>一連の規定について、それ

が近代的政党にふさわしいかどう かという疑念を呈した。

 それにたいして、山口氏は、それは「自己の利益や栄達を党全体の利益より優先させるようなブルジョア個人主

義を排するという当然のことをのべたまで である」とか、「発達した資本主義国における革命闘争の複雑性と党規

約にもとづく活動の重要性を軽くみてしまっている」立場とか批判した。

 ところが新規約には、その「当然の」規律規定がそっくり欠落していた。これはいったいどうしたことか?

山口氏はそれをどう説明するのであろうか? 私がかつて提言した近代政党への脱皮をすすめているのだろうか?

 衣の下の鎧ということばがあるが、少なくとも、共産党としてはともかく衣はとりかえるほかなくなったという

ことなのであろう。だが、党規約の組織原理にかんする規定や党内「民主主義」なるものの実態を見ると、鎧まで

脱ぎ捨てたわけではないことがわかる。

 まずは「民主集中制」について。私は民主集中制」についてはレーニン型とスターリン型があるということ、

日本共産党規約の民主集中制規定はスターリン型のもので、基本的 に上意下達を旨とするものであると批判した。

しかし、新規約でも、そこはほぼ旧来のままでいいと判断されたようである。もっともそこでもいろいろな衣替え

はおこなわれている。

 規約で、「 党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社で あり、民主集中制を組織の原則とする」と

して、その「基本」なるものをつぎのとおりとする。

(一)党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多 数決で決める。

(二)決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。

(三)すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
 
(四)党内に派閥・分派はつくらない。

(五)意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。


 「民主集中制」については、前規約にあった「秘密結社」的な規定は捨て去り、
聞こえのいい規定に衣替えされ

 た。さしずめ「不破型民主主義的中央集権制」と呼んでおこう。しかし、鎧は見えかくれしている。そのかぎり

でスターリン型組織原理の母斑をとどめているようだ。


 まず意味不明な語句。
党が、自由な結社で あるとはどういう意味か? 従来の党のありようとどこが違っている

のか? 党員に批判の自由を保障する組織という意味か? 国民にたいする説明責任があろう。

党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める 」 というのは、だいたい文章としてもおか

しいのだが、
「民主的な議論をつくし」というのはどういうものであろうか? 

 
また「すべての指導機関は、選挙によってつくられる」ということは?

 問題は実態である。筆坂秀世氏の本『日本共産党』(新潮社、2006年)はそれらの問題にたいする回答を含んだ

貴重な記録となっている。不破哲三氏をはじめとする党幹部が批判文書を発表しているが、両者をつきあわせてみ

るとおもしろい発見が得られる。
筆坂氏が語っていることの中で、かれらが反論できなかった部分がかなり多いと

いうことである。党内での「民主的な議論」なるものの実態、「指導機関は、選挙 によってつくられる」というこ

との実態など。れらの事実は、党の下部では知ることが難し く、
外 部からはまったくうかがい知れないものであ

る。わずかにかつて袴田里見がその一端を明らかにしたことがあるくらいであった。不破氏等は語らずして「語る

に落ちている」。

 日本の政党で、党員が公然と党の指針・指導部に意見や異論、批 判を言え ないのは共産党だけである。

 筆坂氏が提供する事実は、衣替えされた新規約のもとでの党内民主主義の実 態である。

 なかでも傑作は、最高幹部の選出にかんする記述である。

 規約では党の最高機関は大会とされている。その大会で中央委員が選ばれ、中央委員会で幹部会が選ばれるとい

う仕組みになっている。一見、下から指導機関が選ばれるかに見える。ところが……

 最初の
中央委員会で、上級幹部の選出がおこなわれるのだが、そ の過 程は筆坂氏によればこうである。

 メンバーがそろったところで、だれか古参の幹部(おそらく事前に手配されている)が最年長の同志を仮議長に

推薦すると発声する。拍手で確認される。仮議長が
中央委員会の議長の選出という案件を提起する。すかさず古参

幹部が宮本を推薦すると発声。 拍手で確認あとの人事は
中央委員会 議長の意のままになる。かれが、自 分が幹部

会委員長、書記局長を推薦していいかと問い、拍手で確認され ると、人名をあげ、やはり拍手で確認。そこでは、


いかなる投 票もおこなわれない。不破氏等は筆坂氏のその記述が嘘だと言っていないので、その選出方式にかんする

記述はは真実をつたえているのだろう。密室での談合で党首を選ぶの とさして 違わないのでは? それでも自民党の場合

は、国民=メディアの眼にさらされていて、やがては党内複数主義によって党首選挙がおこなわれることになった。民主党

の場合もしかりである。

 家父長(はじめ宮本、いま不破)のもとで、その意向で抜擢された子分的幹部たちが家父長の「鶴の声」に異を唱えられ

るはずもない。だがそうした方式こそソ連・東欧圏での旧「社会主義」体制下での「個人崇拝」と専制を生み出した根源な

のだ。

 マスメディアも皮相的に共産党を取材するのでなく、密室談合型の指導機関選出 過程にしっかりメスを入れてほ

しいものだ。なにしろいまや日本共産党は「日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党 」であると称し

ているのだ。国民は、投票権の行使にあたってすべての政党の情報公開を必要としている。

 
 党内では不破氏はレーニンを超えたとか、マルクスさえ超えたとか言われている そうだが、「不破型民主主義的

中央集権制」をレーニン型のそれと比べてみるなら、非合法下のボリシェヴィキにあってさえ、党員の決定検証権

がそれなりに保障されていた。私の著書
『民主集中制のペレストロイカ』(大村書店、1990年)はそれについて実

証的に検討したものであった。それにたいして不破氏は、「新しい型の党」なる論拠をもちだして批判を加えた。

 ここに再録した 「「批判の自由と行動の統一」の解釈をめぐってーー不破・榊 "理論"への反論」は、旧著『民主

集中制と党内民主主義
』(青木書店、1978年)の改訂版を出すにあたって補論として付け加えたものである。

 山口氏も、不破氏にならって「新しい型の党」をもちだして私の所論を批判した。かれらの「新しい型の党」論

 は、スターリン史観の産物であり、ソ連の党史に長らく残っていたものである。それは簡単に言えば、スターリンが

プラハ協議会(1912年)で党中央に起用されたことで「新しい型の党」が成立したとしてスターリンをたたえる党史偽造の

始まりを告げる史観であった。不破・山口氏はそのことも知らずに、「新しい型の党」論で、「レーニン型民主主義的中央

集権制」という考え方を論破できると即断したのである。読者に、不破氏がいかにレーニンを超えていたかを判断して

もらいたいと思う。


 最後に一言。共産党批判者の中にも、レーニン型の党組織原理とスターリン型の党組織原理に違いを見ようと

<>しない人々がいる。民主集中制一般を否定し、多数決という組織原理で 充 分だと主張する人々もいる。そういう人々には、

私は歴史過程を実証的に調べるよう期待したい。少なくとも、レー ニン型の民主主義的中央集権制は、「少数者による批判

の権利」という要因を、不可欠な要因として含んでいる点で、ただの多数決原理にまさるものである。
多数決原理というも

のは、
しばしば、少数意思を切り捨てることを当然とする原理とし て活用される。上部からのしめつけの強い労働組合なの

では顕著に見られるはずだ。機関決定だから文句を言うなという言説はあちこちの組織で日常的に聞かれるはずだ。私見で

は、
多 数決原理というものは、必要悪でしかない。集団の意思決定による行動の統一を必要とする組織にあって、全員一致

が得られない状況で行動を迫られる場合のやむをえない措置が多数決による決定なのである。
民主集中制という原理

はそういう用語が使われているかどうかにかかわりなく、あらゆる集団・組織(党・国家を含めて)に現実に生き

ている。スターリン型、レーニン型、トロツキー型、その他の亜種の形で。

 肝心なことは、あらゆる集団的認識・行動でオプティマムを得る方策として、「少数者による批判の権利」を尊重する

ステムを構築しているということである。