日本におけるロシア革命史研究=ロシア革命史記述への疑問 (1)
藤井一行(2003.2.27)
はじめに
はじめに
トロツキーの『ロシア革命史』を邦訳するにあたってその記述の信憑性を確かめるために、内外の先行研究(著述)のみならず、トロツキーが利用した諸史料にもできるだけ眼を通してみようと努力した。日本の先行研究には大いに教わるところがあったが、中には首をかしげざるをえないような記述にもぶつかった(ロシア語文献を利用しないような非専門家の書物は対象外)。いつか問題を提起しなければならないと思っていたが、やっとその機会がきたようである。去年(2002年)、刊行された和田春樹編の新版『ロシア史』(山川出版社)でも同じような疑問点を発見したからである。そこでは石井規衛氏が「ロシア革命とソ連邦の成立」という章を執筆している。かねて私が問題を感じていたのは、二月革命から十月革命にかけての過程における若干の史実についてであった。そこでまずその中の「❷
ロシア革命」を通読してみた。
石井氏の「❷ ロシア革命」(以下、仮に石井論文と呼ぶ)を読んでいるうちに当初の疑問点とかかわりのないある奇異な現象に遭遇した。そこで本稿ではまず石井論文についての疑問を提起することから作業をはじめることにする。
⑴ 石井規衛「❷ロシア革命」の問題点
1)不可解な記述
石井氏の「❷ ロシア革命」(フルテキスト画像pdfファイル)の記述にかんしていろいろ気になったところがある。理解しがたい文脈と文言があちこちに見られるのである。
いくつか例を示す。朱色の部分が問題に感じた部分で、ページ・ナンバーのあとの <+>は右からの行、<ー>は左からの行を意味する。
*以下が筆者のコメント。
① p.285 +9
「ようやく二十八日の深夜二時になったところでこの委員会(国家ドウーマ臨時委員会のことーー藤井) は・・・」
* これは29日の未明のことか、それとも28日の未明のことか? 日本語では理解しがたい表現である。
② p.285 -3~ -2 「・・・ソヴィェト臨時執行委員会の名で彼らの組織化に着手した。同日夜の創立総会 で、チヘイゼが議長に選ばれた。」
* 彼らとは? 同日夜の創立総会とは何日のこと? 数行まえには28日の深夜二時とある。28日の夜か?
③ p.286 +2「ソヴィエト総会で「軍事委員会の意見はソヴィエトの意見と食い違わないかぎり受け入れられる」とする決定が・・・」
* 軍事委員会という組織がいきなり出てくるが、前後にその組織について説明がないため、読者にはそのことにどんな意味があるのか分からない。
④ p.287 -3 「エリートのうちには・・・」
* エリートとは? 不可解な用語。
⑤ p.289 +1 「政府の政策に不満な首都兵士の圧力に屈したソヴィエト大会は、六月十八日・・・」
* いきなりソヴィエト大会というものが登場する。前後にその説明がない。それはどういうものか? まえに出てきたソヴィエト総会とか、すぐあとに出てくる全ロシア・ソヴィエト中央執行委員会なるものとの関係の説明が必要であろう。
⑥ p.294 -4~ -3「十二月四日には、選出された議員を下からの発議で改選することを容易にする手続きが定められたが、それには大きな期待がかけられたのだった。」
* 議員とは? その手続きはどこで定められたのか? 大きな期待とは、だれが、なにゆえに? 不可解である。
⑦ p.294 -2 上記の文にすぐつづく、改行された次の行の冒頭にくる「しかしながら講和交渉は暗礁に乗り上げ・・・」
* 文脈からこの「しかしながら」という接続詞の意味が不明。
⑧ p.294 -1~ 295 +1 「それと同時に、ソヴィエト運動にもっぱら依拠し、まったくあらたな制度原理にそって国家体制を再編成するよう迫られた。」
* まるで下手な翻訳文のような、理解しにくい文言である。「ソヴィエト運動」とは?「まったくあらたな制度原理」とは?「にそって」とは? 「国家体制を再編成する」とは?「迫られた」とは、だれがだれによって?
どうしてこのような、読者に不親切な記述ができたのか、どうして私がかねて疑問視してきたような所論(後述)が踏襲されているのかなどを考えているうちに、もしかしたらだれかの先行記述と関係があるのかもしれないと思って、『世界歴史大系』シリーズの『ロシア史3』の和田春樹氏が担当した第2章「ロシア革命」(以下、和田論文と呼ぶ)での所説と照合してみた。
その結果、ほぼ同じ文言であることがわかった。自分自身の責任での先行所説の踏襲か、ただの受け売りかが気になった。両氏の所説の前後を比べてみた。かなり似ていた。部分的には表現がまったく同じであった。ますます気になって、石井氏の「❷
ロシア革命」の全体を和田論文とつきあわせてみた。おどろくほど酷似していた。そして、石井論文で意味が不可解な部分は、どうやら和田論文を踏襲したものの、切り張りがうまくいっていなかったせいらしいと気づいた。
そこであらためて石井論文を和田論文とつきあわせてみた。そして仰天した。両者があまりに酷似していたからである。
2)和田論文との酷似
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