ICC条約の即時批准を訴える
 
   私は社会主義の思想と理論、運動の歴史を研究し、4年前に札幌学院大学を定年退職した者ですが、昨年暮れ、友人藤井一行氏とともに、『拉致・国家・人権ーーー北朝鮮独裁体制を国際法廷の場に』と題する共同著作を、大村書店から出版いたしました。 私どもはこれまで35年にわたって共同してスターリン主義に対する批判的研究を進めて参りましたが、一昨年の小泉訪朝が北朝鮮の国家機関による日本市民の拉致を白日のもとにさらして以来、この最悪のスターリン主義国家の国家犯罪をどうとらえ、どう克服・解決すべきかを、共同して追及してまいりました。スターリン主義のすさまじい人権抑圧を「人道に対する罪」としてとらえる私たちの視点から、この拉致犯罪がまさにその最も凶悪な形態のひとつでること、さらにこうした重大な国際犯罪を裁き、追求する国際法廷がーーなお多くの障害に対峙しつつもーー今遂に現実化しつつある、と言う事実をも、イギリスの優れた人権活動家J. Robertson の著作等を通じて学びえました。こうした私たちの
問題意識は、同封させて頂いた私たちの執筆部分の前書きをお読み頂ければ、お解り頂けるもの、と存じます。
 しかし、私たちに不可解だったことは、この拉致という行為が「国際刑事裁判所に関するローマ規程」で明確に規定されている「人道に対する罪」に属すること、をはじめ、およそ ICC というまさに21世紀にふさわしい国際法廷の意義、その可能性等について、日本政府も政治家(保守革新を問わず)も、ジャーナリストもほとんど語ろうとしない、と言う事実でした。
 従って我が国民のあいだでは、 I C C の存在すらまだほとんど知られておらず、その意義の認識については白紙の状態にある、と申して差し支えない、と愚考いたします。 そのことは、私たちの今回の書を読んだ大学教員を含む多くの友人が、この本または私の朝日新聞や『労働運動研究』への寄稿で、I C C のことを初めて知った、と年賀状などに書いてくることからも、わかります。日本の政治家や官僚の間には、狭い利害の取り引きや顔のたてあい、そうでなければ物質的な「力」に頼るという、理念なき法ニヒリズムが、まだ牢乎として支配しており、とりわけ法としての成熟度が遅れた国際法の分野では、この傾向は特に強いように思われます。 昨年見たテレビでも、ある議員がI CCについて発言したところ、拉致議連の議員が言下に「そんなものは役に立たない」という趣旨の発言で斥けたのには、印象的というか、暗然としましたが、そういうご体験はお持ちでないでしょうか。
 日本が未だに1977年制定のジュネーブ条約の追加議定書をすら批准していなかった(今国会に提出)のは、まさに日本の恥でしかありません(160カ国批准)。しかも I C Cについては、賛成しながらすでに6年近くも、国内関係法の整備が必要、というお決まりの文句で国会提出をサボりつづけております。 そしてこの真因が、I C  Cの存在に反対している今のアメリカ政府の意向と、それへの日本政府の盲従にあることも、既に明らかです。 
 最近、北朝鮮に対する経済制裁法案が、衆院を通過いたしました。これは、北に対して一つの大きな圧力となることは間違いありません。 しかし、本書の第3章で述べたたように、経済制裁がこの問題を解決できる、という保証はありません。第1部の前書きに述べた問題の解決−−ここにはまだ問題ともなっていない帰国者の家族以外の拉致犠牲者の救出と、責任者の追及という、問題が含まれますーーを本当に追及するためには、まずこの犯罪が、国際法上のどういう犯罪であり、本来いかなる裁きにあたいするか、について、被害者家族のみなさん、政府と議会のみならず、国民全体のあいだに、しっかりとした国民的合意が、形成されなければならないのではないでしょうか。「無法国家」に対してこそ、私たち日本国民は、21世紀の普遍的法を対置し、追及せねばならないと思います。また政府や一部の国際法学者は、規程発効前の犯罪についてはI CCは管轄権を持たない、と11条の形式的解釈で逃げますが、これも私が本書で全訳紹介した「強制的失踪からのすべての個人の保護に関する宣言」(1992年第47時国連総会採択)の第17条は、 
 「1.強制失踪を構成する行為は、犯人が失踪した個人の消息や所在を隠蔽し続けており、そのためにこれらの事実が不明にとどまっている限り、継続して いる犯罪(  a continuing   offence)であると、見なさるべきである.」と述べております。 これは国連総会の宣言であり、アナン事務総長は第57回総会(2002年)の席上、第55回国連総会は全ての国に、この宣言のテキストを各国の国語で普及するよう要求した、とまで述べております。 ここでも日本の外務省は、なにも 答えておりません。
 私は、この問題を調べてゆく過程で、日本のいくつかの団体、NG Oの皆さん、国際人道法の専門家の一部の方々が、I C C 問題の普及と日本の早期批准のため、熱心に活動されていることを知り、ここに熱い敬意を表する次第です。 しかし、その成果は率直に
申して先の状況であり、またこの課題は、もとより一部専門家に委せていいものではなく、まさに国民的課題であります。
 また、これは私が本書の中で不躾に指摘させていただいたことでありますが、国際法の一部の専門家のこの問題についてのご見解には、素人の私が到底納得のできないものもあり、誤りあれば、是非開かれた場でご指摘頂きたく存じます。
 2003年末にはサダム・フセインが遂に拘束され、その裁判のかたちが問われる段階となり、引き続いて I C T Yでのミロシェヴィチ裁判の結審、カンボヂャ法廷の開始など、20世紀のもっとも残虐な国際犯罪のいくつかの最高の責任者たちにたいする一連の裁きが進行 しようとしている 現在こそ、I C Cの意義を国民化すべきもっとも大事な時期ではないでしょうか。
  テロと反テロがグローバルに激突しつつあるこの未曾有のクリティカルな時代に、「無法の空間を根絶する」( I C Cの初代検察官オカンポ氏)目的と希望を体現したこの国際法廷を早急かつ確実に始動させ、東アジアを一刻も早く普遍的な人権と法の花咲く地帯にかえることは、現代に生きる私たち日本人が負った第一の世界史的使命、と存じます。
 本書の第1部で私は、私の専門の観点から、拉致と言う問題を北朝鮮のそれだけにわい小化せず、世界史的視点でとらえ、位置づけること、とくに戦後生じたその新しい形態からI C Cの設立までのあゆみをまとめること、とりわけ第3章で I C Cの持つ21世紀的意義と、今回の北朝鮮国家機関による拉致問題の解決において果たしうるその役割を、普通の市民が理解できるかたちでまとめるべく、努めました。付属資料では、1992年の強制失踪についての国連宣言の全訳とともに、韓国の家族会の理事である李最永氏が父君(当時ソウル神学校校長)の拉致と その後の運命について寄せられた文章は、韓国現代史の悲劇の一こまとして、是非ご一読頂きたく念じております。
 また藤井一行氏の手に成る第2部は、ロシアにおけるスターリン主義研究での我が国の第一人者による北朝鮮現独裁体制の総合的な分析であり、多くの示唆をそこから受け取られうることを、確信いたしております。とりわけ、北朝鮮に留学経験を持つロシアの北朝鮮研究者ラニコーフの最近の研究をふまえた、金日成独裁体制の成立過程の追及、独裁の内的構造と対内的・対外的テロの諸様相、この体制の行方の展望等は、日本の拉致犠牲者だけでなく、2300万の北の民衆の運命を気づかっているひとびとに、重要な問題を提起しております。
 ごく最近(1月31日)、B B C放送は「悪へのアクセス」という番組で,元北朝鮮のペキン大使館付武官でいまソウルに亡命している Kwon Hyok (仮名)と言う人物を登場させ、かれはそこで自分はペキン駐在の6年前(1993年)には北朝鮮北東部にある
政治犯収容所Camp  22の保衛部長だったこと、これらの収容所はソビエトの Gulag をモデルにしていること、囚人のほとんどは何の罪もなく、ただ金親子に反対する言動を行っただけであること、しかしその近親者をも含んでおり、”それは北朝鮮に不忠誠だと区分づけられた人間たちの種子を抜きさる為である”と述べました(連座制)。
 しかし、さらに重大なことは、彼が自分がみた事実として、ここには特別に設置されたガス室があり、政治囚に化学兵器の実験がおこなわれていたと証言したこと、です。”わたしは、ひとつの家族が窒息性のガスでテストされ、死亡するのを見ました。両親と息子と娘でした。両親は吐き、死にましたが、最後の瞬間まで口から口への呼吸で子どもたちを救おうとしていました。”
 またB B CのレポーターであるOlenka Frankielは、ソウルで会った著名な人権活動家Kim  Sang-hunが、このcamp22から脱走してきた人物がここからこっそり持ち出してきたという秘密文書を示しました。Top  Secret  の付いたこの文書には、犠牲者の名等を挙げ、”上記の者は化学兵器用の液体ガスによる人体実験のため、camp22から移送される。”と記されており、ロンドンの専門家は、この文書が本物であることを疑う理由はない、と述べたと伝えています。 それに加えて、生物兵器の実験も政治犯収容所で行われたという脱走者の証言も、この放送で伝えられました。
 ”ある将校が私に、50人の健康な女囚を選び出せと命じました。看守の一人が私に籠一杯のキャベツのおひたしを渡し、それを食べずに50人に与えよ、といいました。キャベツを食べた全員はすぐ激しく血を吐き、苦痛に泣き叫びはじめました。それは地獄でした。 20分以内に、全員が死にました。”          
これはまさに、アウシュヴィツと並ぶ地獄です。これも疑惑に過ぎない、といって済ませられる事態では断じてありません。’拉致疑惑’も、すべて現実でした。しかも北朝鮮は、生物毒素兵器廃棄条約の加盟国なのです。これが事実であれば、この国の支配者は真に「人類に対する敵」として、国際法廷で裁かれるべきであります。
 これらすべての状況は、私たちに、I C C規程の即時批准を政府に要求する大運動をおこす必要を、明示しております。
 私は、この呼びかけにご賛同の皆さんが、この運動の発展のためそれぞれの場で創意を尽くされること、とりわけ人権のため、また国際法と国際人道法に取り組まれている学者、活動家、政治家、関係官庁、ジャーナリズムの皆さんが、共同しておおきなカンパニアを組織されることを、切 望いたします。さもなければ、またも大きな、取り返しのつかない立ち後れの責めを、後世に残すことになりましょう。
 本書は、そのためにいささかなりとも寄与することを願って、非専門の私たちが執筆したものであります。その点をお汲み取りの上、忌憚ないご批判をお願いしますとともに、そのうえで本書の主張にある積極的な価値をお認め頂けたならば、本書の普及についてなにとぞお力をお貸しいただきたく、ここにお願い申し上げる次第であります。
 札幌は折りしも雪祭、なお寒気強い候でありますが、ますますのご健勝とご活躍を。
                                         
                      2004.2.5.
                                                                                 中野徹三