Ⅰ 『裏切られた革命』の邦訳をめぐって (2004.6.19)

      ★ 対馬・西田訳『裏切られた革命』(現代思潮社)は、欠陥商品の見本!
      ★ その底本のEastmanによる英訳にも問題


 はじめにとりあげるのは、トロツキーの代表的かつ古典的著作である『裏切られた革命』の邦訳。私自身の邦訳も10年ほどまえに岩波文庫に収録されているが、その訳業を意図したのは、それまで日本で流布していた邦訳や、その底本である英語版があまり原著に忠実とは言いがたかったからである。
 その一端については、かつて『現代と展望』(1987冬、第26号)という雑誌に「誤訳に拠るトロツキー「批判」」という一文を記したことがあるし、また『裏切られた革命』のロシア語からの最初の邦訳『ソ連はどこへ』(窓社、1988年)の「あとがき」でも触れた。
 しかし、そこで問題にした英訳からの重訳書が依然として欠陥商品のまま出版市場に提供されているのを見るとき、あらためて問題にせざるをえないと痛感するにいたった。
 とりあげるのは、現代思潮社版発行の対馬忠行・西田勲訳の『裏切られた革命』(以下、とくに記さない場合は、対馬訳のこと)である。
 
 この訳書について総じて言わなければならないことは、不可解な文章・語句が随所に見られるということである。ほとんどすべてのページに、いやすべてのパラグラフになにかしら文意不明な語句があると言っても過言ではない。したがって、著者の思想は正確に読者につたわらない。
 訳書の全体を、いちいち原文=底本とつきあわせて吟味することは不可能であるし、無意味でもあるので、ここでは、訳書に接して、文意不明だったあまたの文言の中からいくつかの例をとりあげて検討するにとどめる。対馬訳全体にわたっての問題点については、岩波文庫の拙訳と照合していただきたい。
   
 まず、序文から。朱色の部分に注目されたい。

 「最初、ブルジョア世界はソヴィエト体制の経済的成功ーーすなわち、社会主義的方法が実行しうるということの実験的証拠に気づかないふりをしようとした。資本の博学な経済学者たちは、ロシアの工業的発展の比類なきテンポについて、いまなおしばしば、非常に熟考的な沈黙をたもとうとし、あるいは極端な「農民の搾取」についての評言に自からを閉じ込めようとした。」(7ページ)
 「盲目的な反動的憎悪によって口述された文献は急速に減少しつつある。」(7)

 「だが読者は十月革命の国に実際に起っているものの科学的評価のためには、これらの文献の諸頁をさがしてみても無駄であろう。」(8)

 「互いに相違するにもかかわらず、これら三つのカテゴリーを統一するものは、既成事実の前に叩頭することであり、鎮静剤的概括の偏愛である。彼ら自身の資本主義に対する反乱などとはこれらの著述家たちのほかにある。だからこそ、既にその水路にひいてしまった外国の革命のうえに甚だ手際よく立とうとするのである。」(8)

 朱色の部分の日本文を理解できる読者がいるだろうか? このようなわけのわからない<訳文>に出会ったら、まず誤訳と考えてまちがいない。吟味してみよう。
 
 ■ 「実行しうるということの実験的証拠」 
  「実行しうる」・・・何を? 目的語は? 
 英文ではこの部分は、...the experimental proof, that is, of the practicability of socialist methods...

 山西英一訳の『裏切られた革命』(白文社、昭和二十五年、以下、山西訳)では、「社会主義的方法の実現可能性の実験的証拠」(3ページ)。こちらの訳文でも、なにの「実現」の可能性なのか曖昧で、舌足らずだが、なんとなくわかる。
 底本であるMax Eastman による英訳 The Revolution Betrayed ではこの部分は、
   ...the experimental proof, that is, of the practicability of socialist methods...
 ロシア語原書では、ここは
    ... опытного  доказательства  жизненности  методов социализма...
  前後の文意は<社会主義の方法が生命力をもっているという経験上の証拠>ということである。より詳しく説明すれば、<革命から20年ほどの社会主義建設の経験に照らして、社会主義のもろもろの方法が生命力をもっているということが証明されている>という論旨なのである。
  Eastmanの英訳のように practicability としていいかどうかは一考の余地がありそうだ。
   
 ■ 「熟考的な沈黙」 訳文をつくるのに工夫が足りない。でも意味はなんとか想像はできる。
  英訳では a deeply cogitative silence
  山西訳では、「考え深い沈黙」で、このほうが訳文としては妥当。
  ロシア語では、 глубокомысленно отмолчаться  <思慮深くも沈黙を守る>というア イロニーをこめた表現。英文もまちがっていない。
 
 ■  「……評言に自からを閉じ込めよう……」
 
  英訳では ...confine themselves to remarks about...
  明らかな誤訳。訳者は confine themselve<……にとどめる……>という表現がわかっていないようだ。
 山西訳では、「……について云々するにとどめ……」
 なぜ山西のこの的確な訳文を「……評言に自からを閉じ込めよう」などというわけのわからない文章に改悪したのか不可解だ。
 ロシア語では ...ограничиваются ссылками で、英訳に問題はない。
 
 ■ 「口述された文献」
  英訳では、The literature dictated by blind reactionary hatred...
 ロシア語原文でも ... продиктованная ...<指嗾された>というような意味。
 山西訳は「盲目的な反動の憎悪によって書かれた」だが、これはひとつの妥当な工夫である。

   ■ 「科学的評価のためには、これらの文献の諸頁をさがしてみても無駄」
 文意がはっきりしない。
 
 英訳を見ると、
 The reader, however, would seek in vain on the pages of this literature for a scientific appraisal ...
 訳者は、前置詞 for の機能がわかっていないらしい。<a scientific appraisal をさがしても無駄だ>という意味である。

 山西訳は、当然「科学的評価をこれらの文献のページにさがして見てもむだ」
 ロシア語でもここは、
     ...искать на страницах этой литературы научной оценки того, что ...
 で、英訳は正しい。
 
 ■ 「鎮静剤的概括の偏愛」
 
 英訳では a partiality for sedative generalizations.
 「……の偏愛」はわかりにくい。
 山西訳は「静かな一般化にたいする偏愛」。
 「……にたいする偏愛」は「……の偏愛」より適切であるが、「静かな一般化」は不可  解。
 ロシア語では ... пристрастье к успокоительным обобщениям... 
 訳しにくい原文である。意味は、<鎮静作用をもった普遍化>への偏った嗜好ということ。工夫が必要。
 
 ■ 「彼ら自身の資本主義に対する反乱などとはこれらの著述家たちのほかにあ   る。」
 まったく文意が不可解。日本語の文章として成り立っていない。
 英訳では、To revolt against their own capitalism was beyond these writers.
 どうやら beyond の意味が理解できなかったようである。
 山西訳「彼ら自身の資本主義に反抗するなどということは、これらの著述家たちにはとうていできないことである」
 どうしてこの訳文に学べないのか? もっともこの訳文では、「彼ら自身の資本主義」と「これらの著述家」との関係、つまり「彼ら自身」と「著述家」との関係が同一かどうかはっきりしないので、「彼ら自身」という部分は、「みずからの」とか、思い切って「自国の」とするほうが適切だと思うが。
 ロシア語では、
  Восстать против собственного капитализма они не в силах...

 ■ 「既にその水路にひいてしまった外国の革命のうえに甚だ手際よく立とうとする」
 
 「水路にひいてしまった革命」とは、意味が不明。
 英訳では、They are the more ready, therefore, to take their stand upon a foreign revolution which has already ebbed back into its channels.
 

 山西訳は「すでに溝に退いてしまった外国の革命の上にたとうちする」
 こちらも文意不明。
 これは英訳自体が文意不明であるため、両訳者ともほかに訳しようがなかったものと見え る。
 この部分のロシア語原文は、
  ... опереться на чужую революцию, уже вошедшую в берега
  直訳すれば<すでに岸にたどりついた>革命。
 転義では、<вернуться в привычное состояние, положение, успокоиться>
 <もとの状況に戻る><落ち着く>などの意味である。
 原著の文脈では、<革命が当初の嵐のようなはげしい内戦・苦難を無事に乗り切って、所 期の軌道を歩み始めた>という意味である。
  ちなみに仏訳を見ると、こうなっている。
 Ils sont d' autant plus disposés à s'appuyer sur une révolution étrangère, du reste apaisée.
 原意は、生かされているようである。 
 拙訳では、「すでに沈静化した他国の革命に依拠」としたが、訳語については「安定した」などほかの選択肢もありえたかもしれない。
 
 ■「実際、違つたやりかたがありえようか? 旧支配階級の転覆は、野蛮から文化へ高まるのを達成しないで、ただ完全にあらわにしただけである。」(12)
 文意不明! 「野蛮から文化へ高まるのを達成しない」?
 「完全にあらわにした」ーーなにを? 
 英訳では、The overthrow of the old ruling classes did not achieve, but only completely revealed, the task:  to rise from barbarism to culture.
  まずい直訳のせいで文意が不明になっているというだけでなく、英文の文意をとらええていない。
 山西訳は文体が古めかしいが、ほぼ正確に文意がつたえられている。
「旧支配階級の顛覆によって、野蛮状態から文化的状態に高まるという任務は達成されはしないで、ただ完全にばくろされただけである。」
 ここでは英訳はロシア語原文にそっている。

 ■  「ボリシェヴィキ指導者たちが敏速な援助を当にしていた国際革命における非常な遅延は、ソ連邦に測り知れない諸困難を作り出したが、しかしまたその内的な力や資力をもあらわにした。」(12)
 英訳  The extraordinary tardness in the development of the international revolution......
 
 山西訳は「その発展が非常に遅々としてすすまなかったため……」と工夫している。

 ほとんどあらゆるパラグラフにみらあふれるこの種の工夫のない、直訳型の、意味不分明な「訳文」にはもうふれないことにする。
 

 ■  「われわれがこの統計的観点から事態に近づくとき、情勢は直ちに一変し、しかもソ連邦にきわめて不利に一変するのである。」(15)
 なにげなく読み過ごしてしまう部分だが、よく読むと<統計的観点>というのがよくわからない。ここは山西訳でも<統計的見地>となっている。
 英訳は、......from this statistical point of view....
 したがって、どちらでも英文は正確に訳されている。
 ところが、ロシア語原文では... под этим статическим углом зрения...
Eastman は、статический (静的)とстатистический(統計的)をとりちがえているのである。この種のEastman の誤訳はほかにもある。
 ちなみにこの個所は仏訳も同じとりちがえをしている。...sous cet angle statistique...

 英語にもフランス語にもちゃんとstatic, statiqueという対応語があるのに。印刷上の誤植の可能性も考えられなくはないが、刊行後数十年も正すことなく流布させている出版社は問題がある。

 ■  「だが、誰が勝つかという問題の本質はーー軍事的なものばかりではなく、それ以上に経済問題としてーー世界的規模でソ連邦に直面させる。(中略)だがソ連邦が孤立にとどまっている限り、そしてそれより悪いことは退却をこうむり後走をつづける限りソヴィエト構造の力量は、結局、労働の生産性によって測られる。そしてそれは市場経済の下では、生産費と価格自体において表現される。」(15)

 ここには原著者の主張にかんする看過できない重大な誤訳がある。この邦訳文では、「それより悪いことは退却をこうむり後走をつづける限り」の主語は明らかにソ連邦である。
 だが英訳では、......so long as the European proletariat suffers reverses and continues to fall back....と、
主語は<ヨーロッパのプロレタリアート>なのである。
 山西訳もここはそのように訳している。ロシア語原文ももちろんそうである。


 ■ 「なるほどソ違邦には人民大衆の過少消費によって平衡させられる、浪費する有産階級というものはない。」(24)
 文意不明。
 山西訳
 「なるほどソヴィエト同盟には、有産階級ーーその浪費が一般大衆の過少消費と均衡をたもっているところのーーというものはない。」
 文意は明瞭。


 ■ 「過去から相続せる農民経済の分散的性格は、十月革命の結果として悪化せしめられた。独立農場の数はその後の一○年間に一六〇〇万から二五〇〇万に上昇し、これは自然、農民経営の大多数の純完成的性格を強めた。」(31)
 山西訳も「純完結的性格
 どちらも意味不明。
 英訳を見ると、......the purely consummatory character.......とある。
 だから英訳に照らせば誤訳とは言えない。邦訳者はこの語をどう理解するかでさぞ苦労したことであろう。
 ところが、ロシア語原文を見ると、ここは
 ... естественно повело к усилению чисто-потребительского характера большинства крестьянских хозяйств...
 つまり農家の<純消費者的性格>
 英訳本では、どこかの段階で、consumer, consumptive などの訳語が consummatory に化けてしまったのであろう。いくら拙速のイーストマンでも、потребительский を consummatoryと訳す理由は考えられないからである。
 しかし、いまでもこの英訳が世界に流布し、重訳本に依拠する日本の読者もわけのわからないこのような訳文で悩まされているのである。
 

 ■ 「将来の歴史家は、社会主義国家の政策に、大胆な経済的創意に対する悪意ある不信の気分がすっかり浸み込んでいたのに、すくなからざる驚きをもって再現せしむるであろう。」(34)
 文意不明かつ日本語文法の無視!

 山西「将来の歴史家は、社会主義国家の政府に徹底的に浸透していた、大胆な経済上の創意にたいする執念深い不信の気分を知って非常に驚ろくことだろう。」

 英訳
 ......The future historian will reestablish with no small surprise the moods of spiteful disbelief in bold
economic initiative with which the government of the socialist state was wholly imbued.

 訳者は、
with which the government of the socialist state was wholly imbuedの構文がわからなかったらしい。加えて、だれになにを「再現せしむる」というのか?
 まことに理解に苦しむことだが、なぜこの山西訳に学ぼうとしないのか?
なにか山西訳を排斥しなければならない理由でもあるのか?
  ただし、reestablish ...... the moods は、歴史が将来、歴史を記述するときに<the moods >を、愕然としながら再現するだろうという意味と解すべきでは?
 ちなみにロシア語では、
 Будущий историк не без изумления восстановит те настроения злобного недоверия к смелой хозяйственной инициативе, которыми было насквозь пропитано правительство социалистического государства.

 ■  つぎの一節はまったくちんぷんかんぷん! とくに朱色部分。

 「その簡潔さにもかかわらず、われわれの示した歴史的概要は、労働者国家の発展が、徐々に、そして諸成功の堅固な積み重ねという牧歌的画像からいかに遠くへだたっているかを示したものとわれわれは信じている。あとになって、われわれは過去の危機から将来のための重要な指示を引き出すであろう。だがそのほかに、ソヴィエト政府の経済政策とそのジグザグとの歴史的瞥見は、真偽二つながらの成功の源泉を、革命によって創り出された社会化された所有の条件においてではなく、指導者の異常な性質に見出すという人為的に教えこまれた個人主義的物神崇拝を破壊するためにも必要であったと、われわれは思ったのである。」(46-47)
 文章の体を成していない。

 山西訳は立派である。文意は明確である。

 「われわれがのべた歴史的輪郭は、まことに簡潔なものではあるが、しかし労働者國家の実際の発展は徐々に着々と成功をつみ重ねていくという牧歌的光景とはいかに遠ざかったものであるかをしめしているとおもう。われわれは先にいってから、過去の危機から将来のための重要な示唆を引きだすであろう。しかし、その外に、事実上ならびに見せかけだけの成功の源を指導者の天才的資質に見いだして、革命によってつくりだされた社会主義化された財産の条件のうちに見いださない。人為的に教えこまれた個人主義的な呪物崇拝を破壊するために、ソヴィエト政府の経済政策とそのジッグザックを歴史約に一瞥することが必要であるとわれわれは考えたのである。」
  しかし、山西訳にも問題がある。
 中ほどの「しかし……」以下が文意不明。次の「人為的に……」以下の文と切断されているために、文脈がたどれないのだ。
 英訳はつぎのとおりである。

 In spite of its brevity, our  historic outline shows, we hope, how far removed the actual development of the workers' state has been from an idyllic picture of the gradual and steady piling up of successes. From the crises of the past we shall later on derive important indications for the future. But, besides that, a historic glance at the economic policy of the Soviet government and its zigzags has seemed to us necessary in order to destroy that artificially inculcated individualistic fetishism which f'inds the sources of success, both real and pretended, in the extraordinary quality of the leadership, and not in the conditions of socialized property created by the revolution.

ロシア語文では
 Несмотря на всю свою краткость, наш исторический очерк показывает, надеемся, насколько далеко действительное развитие рабочего государства от идиллической картины постепенного и непрерывного накопления успехов. Из богатого кризисами прошлого мы почерпнем позже важные указания для будущего. В то же время исторический обзор экономической политики советского правительства и ее зигзагов представляется нам совершенно необходимым для разрушения того искусственно насаждаемого индивидуалистического фетишизма, который ищет источника успехов, действительных, как и мнимых, в необыкновенных качествах руководства, а не в созданных революцией условиях обобществленной собственности.
ここではEastman訳は、「危機に富んでいた過去」という表現を単に「過去の危機」と訳しているという非本質的な問題点をのぞけば、ほとんど逐語的な、正確な訳文である。

拙訳

「われわれの歴史的概観はごく短かなものであったが、それでも労働者国家の現実の発展は、成果が漸進的かつ不断に累積されているなどという牧歌的な情景からいかにかけはなれているかを示しえていると思う。あとでわれわれは、さまざまな危機をふんだんにはらんでいた過去の中から、将来のための重要な指針をくみとることにしよう。成果ーー真の成果たると架空の成果たるとを問わずーーの源は、革命がつくりだした社会化された所有という諸条件にではなしに、指導の非凡な資質にあると見る個人主義的物神崇拝が人為的にひろめられているが、ソヴェト政府の経済政策とそのジグザグを歴史的に概観することは、同時に、この物神崇拝を打破するためにもまったく不可欠たものであると思われる。」

 また、山西訳の「社会主義化」は、英文では「社会化」ーーロシア語原文でもーーであり、ここだけは、対馬訳のほうが正しい。

 ■ 「財産を剥奪したものは、財産をつくり、それを防衛する気にならない。」(60)
  意味が分かるであろうか。 わからなくて当然。
 英訳      Those deprived of property are not inclined to create and drfend it.
   山西訳 「財産を収奪されたもの」
 deprived of という過去分詞の用法がわかっていないらしい。そんな学力でトロツキーを邦訳しようなどとはあまりに非礼である。
 ロシア語では、
 Создавать преимущества и охранять их не склонны те, которые их лишены.
 преимущества の英訳がpropertyでいいかどうかは問題があるかもしれないとしても、
原文の意は英訳でつたえられている。
 
 この部分は、「特典をもっていないものは、特典をつくりだしたり、守ったりする気にならない」である。


 ■ 「ミルクは乳牛の所産であって社会主義の所産ではない。国は、一般大衆の物質的状態を相当にひきあげないでも、一時、発展の一層高い水準にひきあげることができるということを理解していないために、諸君は、社会主義と、河にミルクが流れている国の姿とを混同したのだろう。」(66)
 文意不明。
山西訳では、「国は、一般大衆の物的事情が非常に向上しなっくとも、一時いっそう高い発展水準にたかまることができるということを理解しないためには……
 ここは反語的表現になっている。英訳でも、ロシア語でも。英文のriseを「ひきあげる」などとわざわざ他動詞にして訳出したために、かえって文意が不明になっただけでなく、もとの文意を歪めることにもなっている。


■  「農民と国家との間の闘争は決して終っていない。現在の農業のなお非常に不安定な組織は両者間の内乱の恐るべき勃発につづく、相闘う両陣営間の一時的な妥協以外の何物でもない。なるほど、農場の九〇パーセントは集団化され、そして全農業生産物の九四パーセントは集団農場の区域からとられている。諸君が、本質的には個人農民たるものが、目をくらましている偽装的集団農場の一定のパーセンテージを考慮に入れても、なお、個人経済に対する勝利は、すくなくとも一〇分の九まで達せられたということを承認しなければならない。けれども、農村地方における諸勢力や諸傾向の真の闘争は、個人農民と集団農民との間のむきだしの対照の枠内に含まれるもの以上がある。 」(135)

 Even if you take into consideration a certain percentage of fictious collectives, behind which essentially individual  farmers are hiding,...

 山西訳 「たとえ実際には個人的農民であるものが人目をくらましている擬装的集団農場のある
パーセンテージを考慮にいれるとして見ても……
 対馬訳もこの山西訳を踏まえているようだが、山西訳も文意がすっきりしない。

 二人とも文意がつかめていないようだ。
fictious collectivesの背後にindividual  farmersが「隠れている」という文字どおりの意味でいいのだが。要するに英文の文意がつかめなかったのであろう。というよりも、ここで論じられている集団化された農民と集団化されない個人農民との間にあるソ連での問題状況が理解できていなかったのであろう。
 
 ロシア語原文
Даже если принять во внимание известный процент фиктивных колхозов, за которыми укрываются в сущности единоличники...,
集団農場と称しているが、実態は集団化の体を成していない個人農民の寄合所帯であるようなコルホーズという意味である。

 ■  「社会主義社会へ到達したことを示す特徴は、人口の小さなパーセントを占める農民が労働者と平等な地位におかれること、ブルジョア出身の市民に政治上の権利が回復されることだけではない。」(275)

 英文では、 ....to the small percentage of citzens of bourgeois origin.......で、「小さなパーセント」は「ブルジョア出身の市民」にかかっている。どうして「人口の小さなパーセントを占める農民」になるのか、まことに理解に苦しむ。テキスト(原文)を正確に読んでいないのだ。
 山西訳は「ブルジョア出の少数の市民」としている。
ロシア語でも同じнескольким процентам граждан буржуазного происхождения

 ■  「社会主義国の人民は、正確には、誰を恐れているのか? また、人民は、誰の試みから守られなければならないのか? 」(275)
 山西訳 「いったいだれをそのように恐れるのか? また……だれの陰謀にたいして防衛せられねばならぬのか?」
 Whom exactly does the population of a socialist country fear, and from whose attempts must it be
defended?

 exactlyに強調の働きがあること、 attempts には「襲撃」の意もあり、かつここで「試み」としたのでは、文意が成り立たないことに訳者は気づいていないらしい。
参考までにロシア語文も。
 Кого собственно боится н
аселение социалистической страны и от чьих покушений требуется защищать его?

 
 ■  「クレムリンの友人や手先どもは、目に見える政治闘争を停止し、体制の「安定化」として描いている。 しかし実際には、それは官僚主義の一時的安定化を示しているにすぎない。 若い世代は、深く内攻した全般的不満を抱き、開化よりもはるかに多くの絶対主義があるこの「開化的絶対主義」のくびきに、特別の痛苦を感じている。」(298)

 まず最初の命題が文意不明。「目に見える政治闘争を停止し」たのは、「クレムリンの友人や手先ども」なのか? また「目に見える政治闘争を停止し」「体制の『安定化』として描いている」というが、いったいなにをそうしているというのか? 文脈からすれば「政治闘争を」ととらなければなるまいが、「政治闘争を体制の『安定化」として描いている」と読んでみてもなんのことかさっばりわからない。翻訳の適否の問題のまえに、日本語の文章として成り立っていないことをここでも指摘せざるをえない。これが第一点。
 しかしこれは実は原文を正確に理解できていないところからきている。
 
 英訳では、
 The cessation of visible political struggle is portrayed by the friends and agents of the Kremlin as a "stabilization" of the regime. In reality it signalizes only a temporary stabilization of the bureaucracy. With popular discontent driven deep,  the younger generation feels with special pain the yoke of this "enlightened absolutism" in which there is so much more absolutism than enlightenment. The increasingly ominous vigilance of the bureaucracy against any ray of living thought, and the unbearable tensity of the hymns of praise addressed to a blessed providence in the person of the "leader," testify alike to a grow-ing separation between the state and society. They testify to a steady intensifying of inner contradictions, a pressure against the walls of the state which seeks a way out and must inevitably find one . 

 山西訳はここは、「外面的な政治闘争の休止を、クレムリンの友や代理者は、現政体の「安定」と見ている……」これは正しい。
 ロシア語原文も、
Прекращение видимой политической борьбы изображается друзьями и агентами Кремля, как "стабилизация" режима.

 
 問題はそのつぎである。
 「しかし実際には、それは官僚主義の一時的安定化を示しているにすぎない。 若い世代は、深く内攻した全般的不満を抱き・・・」と訳された部分(青色)は、英訳自体がロシア語の原文と違っているのだ。
 ロシア語では、この部分はこうである。
 На самом деле оно означает лишь временную стабилизацию бюрократии при загнанном вглубь недовольстве народа.
 「人民の不満が奥深く内攻した状況のもとでの官僚体制の一時的安定化」という意味である。
 Eastmanは、この文章を切断し、後半部分(朱色)をつぎの「 Молодое поколение......= the younger generation feels.......」ではじまる文章に接合している(青色の部分)。実に不思議な訳業である。

    ******** その他、数字や年代など誤訳・誤記の数例。
 
 ■ 電力「433キロワット」(22)
   山西 443
   英訳 443
   ロシア語原文 448  二重の誤訳・誤記!

 ■ 「八倍から一〇倍も少ない」(22)
  山西「八ないし一〇分の一である」
   英訳 ...8 to 10 times less than...
  日本語に「……倍少ない……」という言い方があるだろうか?

 ■  「1921年」 (30)
  山西訳 1922年
  英訳 1922
  ロシア語 1922

 ■ 「農家の八パーセントが集団農場に・・・」(33)
   山西「ほんの八パーセント」
   英訳  only 8 per cent....... 

   しかし、 ロシア語原文では  лишь 0,8% дворов......
   つまり0.8%である(ロシア語では、小数点はコンマ<,>で示す)。重大な誤訳である。  農業の集団化率の問題であるだけに、この10倍の誤差はひどすぎる。
   ちなみに、仏訳でも<0,8%>
 
 ■ 「けれども、定義の不明瞭そのものが、一九三一ー三五年の測り知れぬ一層絶対的な定式からの後退をほのめかしている。」(68)
 山西訳も同じく「一九三一ー三五年」。
    当然である。Eastman訳も
 ......more categorical formula of 1931-1935...とあるのだから。
 しかし、ロシア語原文では、
 ...отступление от неизмеримо более категорических формул 1931и 1935 годов.
 
 社会主義にかんする規定について論じた当該の1節では、1931年のスターリンの規定と1935年のそれについて論じられているので、「1931年と1935年の……定式」としなければならない。ここは単なる年代・数字の誤記というよりも、英訳者Eastmanの誤読。全体を理解せずに訳している証拠である。

  枚挙にいとまがないので、これぐらいにする。


 このような訳本ではたしてトロツキーを正しく把握できるものであろうか。それでなくてさえトロツキーという人間の存在と思想は歪んだ形で世界につたえられている。それを正しく理解する唯一の手段ともいうべき著作までが歪められて提供されるとしたら、トロツキーにたいするこれ以上の冒涜はないであろう。

 この現代思潮社版の『裏切られた革命』は、欠陥商品としてリコールされるどころか、いまでも流布されつづけている。人命にかかわらなければ、欠陥商品をいつまでも売り続けていいと思っているらしい。しかも2,940円という高価格で(岩波文庫版は670円)。
 出版社は社会的責任を問われなくていいのであろうか? 一読すれば欠陥商品であることがわかるのに、あえて読者に売りつける出版社! また欠陥商品であることを見抜けないで出版した編集担当者の責任は?
 この訳書は1968年に初版が出ており、以来幾度も体裁を変えて重版されている。同じ英訳からの重訳でも、山西訳という、より立派な訳業があるにもかかわらず。
 
 しかし、問題は邦訳にだけあるのではない。これまでいくどか論及する機会があったが、Eastmanの英訳自体にも大きな問題があるのだ。
 Eastmanの翻訳姿勢には、トロツキー自身も問題を感じていた。トロツキーは1938年2月のある手紙でそれに触れている。Eastmanは『裏切られた革命』の英訳者であるだけではない。『ロシア革命史』や『若きレーニン』なども英訳している。Eastmanが英訳した『ロシア革命史』は、日本で山西英一氏が邦訳したものの主要なテキストとされたものである。山西によれば、著者のトロツキーは英訳書への「序言」(1932年)にわざわざ「付言」をつけて、Eastmanの訳業に謝辞をのべているという。しかし、トロツキーはその6年後にはEastmanに決定的な批判を加えている。
 
 「イーストマンの『ロシア革命史」の翻訳は、立派な文体にもかかわらず、誤りがいっばいある。なぜか? 私が翻訳を監視する機会をもてなかったからである。かれはいつも土壇場になってから衝動的に翻訳を口述するので、私は翻訳を校閲する機会がつかめなかった。」(Writings of Leon Trotsky, Supplement(1934-1940) , Pathfinder Press, 1979, pp.753-754)

 そのイーストマンの英訳書(Dover edition, 2004)もまた、いまだに欠陥をかかえたまま、改訳されることもなく世界中で流布しつづけているのだ。欧米世界の翻訳文化の問題性を浮き彫りにした奇怪な現象である。そうした現象は、『裏切られた革命』にかぎったことではないのだ。
 なお拙訳『裏切られた革命』にかかわる問題は、あとでとりあげる。
 
******

 つぎの機会には、誤訳が、言いかえれば杜撰なトロツキー紹介がいかに重大な影響を世にあたえるか、いかに誤ったトロツキー像を世に広めるのに役だっているか、その悲喜劇的な実例をとりあげるるとしよう。